この記事はデス・ストランディングのネタバレ、考察、妄想などを含む記事です👍
これらが嫌な方や苦手な方はブラウザバックしましょう😡
【エンディング後はエンディング前】
デス・ストランディングはエンディングを迎えると『エンディングの大統領就任式及び最後の配送を迎える2週間前の時系列』であるエピソード15に突入します。
エンディング後はエンディング前ってのはそういうことです。
アメリカを横断したサムはこのエピソード15で施設との親睦を深めるもよし、メモリーチップを集めるもよし、トロコンを目指すのもよし、つまり自由に動き回っていいよ!というエピソードです。
ここで重要なのがカイラル通信を繋ぐ行為です。
エピソード15に突入するまでは、ストーリーに関わらないプレッパーズももちろんいます。そんな彼らともエピソード15では関わり、やがてカイラル通信を繋いでUCAをより強固なものにしていくのです。
つまり、(トロコンを目指しゲームを遊ぶ人なら特に)エンディングを迎えた時点にサムはゲーム内の全ての施設、プレッパーズと繋がりを持つ、ということになります。👍
【強制されない繋がり】
ゲーム開始直後のサムはルーシーやブリジットとの一件もあり、誰とも繋がらない(唯一、アメリとはまだ繋がっていたようですが)宙ぶらりんの状態にありました。
他人に触られるだけでその場所が痣になるレベルの接触恐怖症を持ち、精神も肉体も、まさに誰とも繋がらないそんな男でした。
そんなサムとブリッジズのゲーム上で最初の繋がりが手錠端末でした。
サムはこれを束縛と呼び、アメリやブリッジズはこれを象徴と称しました。
確かに、手錠端末は対象を二十四時間監視追跡するガジェットでサムの言う通りこれは束縛で、強制されたつながりです。
一方、ブリッジズの面々は主要なメンバーはもちろん、第一次遠征隊の人たちもこの手錠端末を装備しています。ブリッジズのマークなどの物以上に、プレイヤーの目につきやすい象徴的な意味合いを果たしています。
強制的に装備させられた手錠端末も、中盤以降は臍帯を切りBTを撃退する便利な道具、人によっては相棒的なポジションになります。👻🌈
手錠は、拘束です。どこかに必ず繋がっています。
それはUCAかもしれないし、あるいはこの世とかもしれません。🤔
サムは繋がりを強要されましたがそのダイハードマンであろうと、UCAの加入やカイラル通信接続を強制しませんでした。(政治的な信頼を得る意味合いもありそうだけど)
そんな人々はサムが信頼を得て繋がっていきます。
あんな時代でも、繋がりを完全に強要することはなく、個人の意思に任せています。アメリを救い出せるサムならともかく、一般の人々には繋がりは強要されていないのです。個人を尊重し、強制されない繋がりをプレッパーズは手にします。
さて、サムの繋がりと自由はどうでしょうか。本編中ずっと手錠端末で追跡を受けていたサムですが、エンディングではその手錠端末を焼き捨て、自由を手に入れます。
確かに、それは拘束されない真の自由ですが、これでルーと二人で完全孤立で暮らしていくわけではないでしょう。小説版でサムは、来た道をまた戻るために歩き出した、とあります。
ビーチから帰還するとき、サムは彼を信頼しているブリッジズの面々との繋がりのおかげで帰還することができました。
繋がりを築くことができなければ、サムは還ってこれなかったのです。
信頼は強制される繋がりではありません。しかしその強制されない繋がりのおかげで、サムは助かったのです。
旅を通して手錠という束縛を抜け出した繋がりを、そんな心と体とブリッジズとの関係を、サムは手に入れることができたわけです。👍
このゲームのテーマは繋がり、ほかのプレイヤーとの繋がりも重要な要素です。
しかし、がっつりマルチプレイをするわけではなく建造物や落し物が反映されるだけの、緩やかなつながりです。しかも、この要素はオフラインにすることにより無くすこともできます。この繋がる要素も強要されたものではない、自由な繋がりです。
ストーリー的な面でもゲーム的な面でも、強制されない繋がりというものが確かにそこにはあるのです。
ルーと大陸を旅する中で、サムはルーと繋がりを増していきました。また、フィールドでコミュニケーションボタンを押すと、「誰かいないのか!?」と声をかけるサムは、実はずっと心の奥底では繋がりを求めていたのかもしれません。
配送中毒者達は配送自体が目的となっていましたが、サムやポーター達は緩やかな繋がりを築いたからこそ配送中毒者にならないのかもしれません。
これまでもこれからも、繋がりは強制されないもの、強制されないからこそ良いものなのです。
【崖と橋】
ゲーム内で最初に便利だと思う大きな建設物に橋があります。🌈
目的地までに橋が何処かにかかっているととりあえずそこを目指す、というのが私のプレイスタイルでした。
橋は川岸や崖を繋ぐ存在です。非常に便利なもので、私も本編中何度も橋に助けられました。
サム・ブリッジズはかつて物を運ぶサムワンでした。しかし、カイラル通信を繋ぐという(それは半ば強制されていたけれど)使命のもと、サムはやがて孤立した都市と都市、人と人とを繋ぐ橋になります。
それは物理的な意味だけではなく心と心とを繋ぐ橋としての役割も持っているのだと、そう考えます。ママーとロックネの件が特にそのことがわかりやすいですね。
実父であるクリフの最期の願い、『おれの代わりに本物の橋になれ』はサム本人が意識せずとも叶いました。
失うことを恐れてリサとの繋がりが絶たれてしまったクリフ、例え世界を失う結果となろうとアメリを抱きしめることを選択したサム。
サムもクリフも、家族愛で動いていた側面のある人間でしたがクリフは崖として、橋をかけられずに終わってしまいました。
サムが全てを繋げたあと、ルーとともに元来た道を戻るという選択をしたのは父であるクリフの想いをただのサムではなくサム・ブリッジズとして、クリフのMEMEを繋げるためにとった行動でしょう。
橋は、場所と場所を、人と人とを繋ぐ役割があります。
全てを繋げたサムは、真の意味での橋になりました。
棒で人を避ける時代は終わりました。
強要された繋がりのない、それでも緩やかに繋がっている、真の自由の時代、真の自由の国がもしかしたらそこにはあるのかもしれません。
【繋がりは強制ではない】
現代はインターネットにより、人と人との繋がりはより増加しています。
無理に全てと繋がる必要はありません。
しかし、それは全てと繋がらない理由にもならないのです。人間は繋がりというものを心のどこかで求めている、そういう生き物なのです。
自分とのより良い繋がりを探してみるのがいいかもしれません。自分が誰かの橋になるのもいいかもしれません。繋がること、そしてその後の緩やかな繋がり、それを大切にして生きていけ、というメッセージがこのゲームには含まれている、そう感じました。
そして、良い繋がりを見つけたなら、人と人とを繋ぐことができたのなら
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